

基調講演 1
「混乱する世界、乱れる自動車の秩序」
講師:舘内 端 (一般社団法人日本EVクラブ 代表理事)
自動車の開発・製造技術と大量生産システムが後退する
世界で最初のEVには諸説ありますが、1881年4月にフランスの発明家ギュスターヴ・トルヴェによって作られ、パリの道を走った電動三輪車のようです。一方、最初のエンジン車は、カール・ベンツとゴットリーフ・ダイムラーによる発明で、EVと同じ19世紀が終わる頃の1886年にドイツで生まれました。
EVの発明からわずか13年。EVが100km/hを突破しました。製作したのも運転したのもベルギー人で、ベルサイユ宮殿の近くのぶどう畑を走りました。ジャメ・コンタントという名前のEVでした。1899年のことで、あと1年で20世紀でした。
その頃の世界といえば1914年から第一次世界大戦が始まります。50ヵ国ほどが、連合国と中央同盟国に分かれて戦いました。それまでの「戦(いくさ)」とはまったく違う総力戦の、まさに「戦争」でした。戦車、飛行機、潜水艦、化学兵器などが現れたのはこのときからです。
すぐそばまで来ていた世界大戦の混乱と消耗を予感しつつEVは登場し、人類未踏の速度記録を出したのです。この戦争を支えたのが、第一次、そして第二次の産業革命でした。科学、技術、金融・産業が一体となって国土、市場、産物を我が物にすべく、戦ったのです。やがて米国を中心にいわゆる西洋社会を造った産業革命は、血と汗の戦争の産物だったとも言えます。
米国の登場
産業革命とそれを支えた技術の発展でヨーロッパに後れを取った米国は、第一次世界大戦に遅れて参戦しましたが、この頃に工業化、都市化、社会改革等の大発展を遂げ、これを契機に世界最大の大国に成長し始めました。そして、成長、拡大した米国は、当時の街を我が物顔で走り回っていたEVに代わってエンジン車を登場させ、生産方式に革命を起こし、大国を走り回るようにしたのです。
さらにエンジン車という強力な移動マシンが大陸を縦横無尽に走れるように、大国の東西を結ぶ(ルート66でも有名な)4000kmにも及ぶ横断道路を開通させたことで、航続距離の短いEVは姿を消し、エンジン車に交代しました。
その先鞭は1908年からの19年間で1500万台も生産されたフォード・モデルTがつけました。そして、この頃にエンジン車の食物である石油を、地中に蓄えた多くの油田が開発され、大量の石油が生産されたのです。
さらにモデルTの1500万台もの生産を支えた「流れ作業」による大量生産方式は、他の分野にも波及し、米国の経済を押し上げました。そして、自動車における「資本主義」の基礎が完成していったのです。
忘れてはならないことは大量に生産される自動車を消費した「大量消費」という経済の在り方です。モデルTは大量生産・大量消費型資本主義の基礎を世界に先駆けて確立したのです。世界各国に自動車を広め、何億にも及ぶ人々に自動車の利便性と快楽をもたらせたのもこの資本主義でした。
しかし、それが世界に行きわたり始めた頃、世界各国に「地球温暖化」という災禍が忍び寄り始めました。
米国資本主義の洗練
さらに市場の大量消費を確立したのは、GMでした。新たなGM社長のアルフレッド・スローンは、たった1モデルのフードTに対して、大きなモデルTや小さなモデルT、その間に位置するスポーツT やらセダンTを生産し、「多品種・大量生産・大量消費」というまさに近代資本主義のモデルを作り上げたのです。
この多品種・大量生産・大量消費という経済の在り方は、さまざまな民族が入り乱れ、多種多様な言語が存在し、階級もさまざまで、人口も世界最大の米国の姿そのものです。
崩れ行く米国とヨーロッパ
ご存知の通りその「アメリカン」が、いま崩れようとしています。トランプ大統領の政策にもよりますが、これは歴史的必然と唱える知識人が多く、アメリカ大陸だけではなく、ヨーロッパを始めとして日本を含めて多くの国々を揺らしています。
資本主義のベースは、ヨーロッパで発達、広まりました。その発端の一つで、その後の世界各国に大きな影響を与えたのがフランス革命です。後記するように、パリ市民は多くの革命同志を閉じ込めたバスチューユの監獄に放火、多くの革命主義者を監獄から解放し、フランス革命を成功に導きました(18世紀後半)。
フランス革命がもたらせた「自由・平等・博愛」の精神がなければ、自動車なる重くて大きな物体が、時速200キロを超えて走れる世界は訪れなかったでしょう。
しかし、この自動車の自由と平等は、やり過ぎで多くの問題を自動車使用者自身にも、もたらせました。
私たちは自動車をどうする?
さて、現在の世界に目を移しましょう。現在、パリに始まった50万人を超える大規模なデモは、いまやスペイン、イタリア、ベルギー、ポルトガル、アルバニア、ギリシャを巻き込み、さらなる広がりを見せています。ヨーロッパもまた大きな変革を免れないようです。
米国はご存知のようにトランプ大統領の共和党勢力が後退し、民主党が伸び、場合によっては政権交代かもしれず、民主党が政権を取ると、自動車の環境系の法律が元に戻され、EVの需要が大きく伸びるかもしれません。これは他の分野にも及び、場合によっては米国が2つに割れるかもしれません。そうなれば、イラン戦争も形が変わり、中東は大混乱となり、石油の需給がひっ迫する可能性もあります。
ウクライナとロシアの戦争も、米国次第で予断を許しません。変わるヨーロッパとの間で新たなロシアとの軋轢が生まれるかもしれません。
大きく変化する米国、ヨーロッパ、中東。プーチンの領土拡大の野望次第ですが、もし野望が続くようであればロシアも含めた4地域は、それぞれの地域で結束し、現在のワールドワイドの世界経済から地域経済に移行するかもしれません。
世界各国にマーケットを広げ、ワールドワイドな生産と販売で成り立ってきた日本の自動車産業ですが、世界が地域経済に移行するとなれば、日本で開発、生産してきた自動車を世界に輸出、展開してきたワールドワイドの「貿易型」経営は難しくなり、各地域に研究開発の拠点も、工場も、販売店も置かざるをえず、自動車メーカーのあり方は大きく変わり、本社も日本からどこかに移るもしれません。
確実に変わるヨーロッパ、そして自動車
自動車の問題は、いわば私たち所有者、使用者の問題だと言える部分がたくさんあります。渋滞であれば、渋滞を生じさせているのは私たちのクルマであり、私たちドライバーです。となると、変わらなければならないのは私たち自身ですが、一方、私たちが変われば自動車の問題は解決できるかもしれません。
かつてフランスでは政治的犯罪者を閉じ込めたバスチューユの監獄が、反王政の市民によって炎上、解放され、フランス革命が成就しました。そのバスティーユがモータリゼーションに対応して拡大してきた道路から、2021年に環境配慮型の自転車、歩行者のための広場へと大きく変容しました。
ここで詳しく述べる余裕はありませんが、パリの道路・広場の環境型改革はバスチューユにとどまらず、たとえば凱旋門広場からシャンゼリゼ通りは、クルマ優先の道から歩行者と自転車優先の道へと改造が進んでいます。片側5車線近くあったシャンゼリゼ通りは、もちろん他の道路と同様、最高速は30Km/hで、車道は片側1車線です。残りのかつての道路は森林が覆い、夏はプール、野営のテント、冬はスケートリンクと、市民のための道と広場に変容中です。
パリだけではなく、フランス全体で自動車は大きく変わらざるをえません。それは果たして米国に、日本に、アジアに、中国に売れるのでしょうか。えっ、日本車も同じじゃないかって?
バスティーユのロータリーやシャンゼリゼ、凱旋門に限らず、パリは自動車の街から自転車と歩行者、乳母車の街へと大変革中です。中心から地方へ、隣の国へと走っていける1000kmの「自転車専用通り」も、まもなく完成ということです。パリの道の改革もまた、今回のデモのようにヨーロッパ各国に広がりそうです。
バスティーユの監獄を打ち壊したパリ市民の力は、現在の大量生産・多品種・大量消費の資本主義社会を、大きく変えるかもしれません。それは、エンジン車からEVへの変革どころの騒ぎではないように思えます。
消えゆく20世紀型自動車とその社会の激動は、果たしてどんなクルマを、どんなシステムで、どのように生産ではなく「造る」のかについては、講演でお話しします。
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